わたしの過去


はじめにひとつ、伝えたいことがあります。

あなたがどんな経験をしてきたとしても、
今ここに生きていることは、弱さではなく、強さです。

もしかしたら、ずっと胸にしまってきた痛みや、誰にも言えなかった感情があるかもしれません。

この記事は、そんなあなたへ向けて書きました。

読んでいて胸が苦しくなったら、深呼吸してください。
涙が出たら、その涙は流れていいものです。

これは「わたしの過去」の話ですが、
読みながら、あなた自身の物語と重なる瞬間があるかもしれません。

それでもいい。

ここでは、誰も否定しません。
ここでは、ちゃんとあなたが存在していい。

では、静かに始めます。


私は三姉妹の次女として生まれました。

幼稚園の年中頃から、音楽教室に通い始めました。

当時の私は歌うことが大好きで、きっとキラキラした気持ちでレッスンに通っていたと思います。
でも、そんな気持ちに影が落ちる出来事が起こりました。

間違えると、母親に太ももを強くつねられるんです。
周りに気付かれないように、静かに、確実に。

痛い。悲しい。
でも「自分が間違えたから仕方ない」と思っていました。
声を上げることも、怒ることもできず、ただ受け入れる日々。


今、私自身も母になり、子供が二人います。
わざとでなくてぶつかった子どもが、

「痛い!!!痛かったよ!!!」

と大きな声で自己主張してくれるのを見るたび、
あの頃の私もそう言えたらよかったのに、と思います。

でも当時の私は、
自分の尊厳より、恐怖のほうがずっと強かった。

「もっと私を大事にして。」
「もっと私を尊重して。」

そんな気持ちすら、声にできなくなっていました。


その後も、練習をしているか監視され、間違えると殴られる日々が続きました。

今なら分かります。
あの暴力は私のためではなかった、と。

子どもが理解するためのしつけではなく、
理性を失ったように殴り続け、立てなくなると蹴り続ける。

母の怒りの行き場が、ただ私だっただけ。


でも当時の私は、そうは思えなかった。

どんどん積もっていく罪悪感。

「私がうまくできなかったから。」
「私がお母さんの気分を悪くしたから。」
「私がちゃんと練習しなかったから。」

そうやって、自分を責め続けていました。


失敗するば罰が来る。
だから私の中に、

「間違えてはいけない。」
「挑戦してはいけない。」

そんな恐怖が根付いていきました。


日常でも、私の言葉は届きませんでした。

話を聞いてほしくて一生懸命伝えても、

「話が回りくどい。」
「なにが言いたいの?」
「聞いて損した。」

返ってくるのは、そんな言葉ばかり。

母に笑ってほしくて、喜んでほしくて、
何を話せば受け入れてもらえるのか考えても、
答えが見つかることはありませんでした。


小学校の遠足でも、願いは破れました。

お土産は上限1,000円。
周りの子たちは楽しそうに自分のためのものを選ぶ中、
私は「母が喜ぶもの」を探し続けました。

どれなら笑ってくれるだろう。
どれなら認めてくれるだろう。

時間は過ぎていくのに、答えは出ない。
焦る心のまま、最後にキラキラした置物を買いました。

帰宅して渡した瞬間ーー

「なんでトイレの芳香剤なんて買ってきたの!!!」

怒鳴られ、私はまた間違えたと思いました。

ただ喜んでほしかっただけなのに。
笑ってほしかっただけなのに。
願いはいつも叶いませんでした。


私の気持ちは受け取られず、代わりに理想だけが押し付けられる。

そんな日々の中で、私はだんだん「自分が存在している感覚」を失っていきました。

ここにいる私は見てもらえない。
母が見ているのは「理想の娘」。

ーー私は、本当に存在しているんだろうか?

そう思うようになり、リストカットをするようになりました。

死にたいわけじゃなかった。
ただ、生きていることを確認したかった。

母がそれを知った時も、返ってきたのは、

「バカじゃないの?」

という嘲笑だけでした。

どこにいても息が苦しく、どこにいても「いてはいけないような感覚」がまとわりついていました。

もう痛みすら感じなくなっていました。

中学2年の頃だったと思います。
いつものように見境なく殴られているうちに、私は突然笑い出したんです。

「……この生活、いつまで続くんだよ。」

そう思った瞬間、すべてがどうでもよくなりました。
半ば諦めの気持ちで、

「もっと殴れば?痛くないから。」

と笑いながら言いました。

その言葉を聞いた母は、殴るのをやめました。
その日から暴力は止まりました。

書きながら気づいたのですがーー
あれは、私が初めて本音を言えた瞬間だったのかもしれません。

それほどまでに、私は自分の気持ちを押し殺して生きていたのだと思います。


それでも、家は息の詰まる場所のままでした。

勉強をしているか監視され、進路も親が望む選択以外は許されませんでした。

家には暗黙のルールがありました。

・姉が通ったレール以上を目指すこと。
・姉よりも先のことはしてはいけないこと。

姉が携帯を持った年齢よりも早くに持つことも、
姉がストレートパーマを当てた年齢より前に当てることも許されません。

姉が取れる点数は当然の基準。
姉が進学した学校より偏差値の低い高校は論外。

そのルールに押しつぶされないため、私はいつの間にか、

「ギリギリ失敗しないライン」を狙って生きるクセがついていました。

できなかった自分を見てしまうのが怖い。
自分の限界を知るのが怖い。

だけど、下回ってはいけない。

その狭間で押し潰されそうになりながら、なんとか生き延びようとしていました。


高校生になる頃、うっすら気付き始めました。

あれ?
親が言っていることって本当に正しいの?

親が絶対じゃないのかもしれない。


そう思い、勇気を出して言いました。

「この生活、おかしくないですか?」

返ってきたのは、

「子どものくせに生意気な。言われる筋合いはない。」

という怒鳴り声でした。

その瞬間、私は悟りました。

あ、この人に私は届かない。
何を言っても変わらない。


進路は私ではなく、大人たちが決めました。
三者面談でも、私の気持ちを聞かれることはありませんでした。


そして恋愛。

うまくいきそうになると、急に怖くなる。
近づかれるほど逃げたくなる。

「私をちゃんと知ったら嫌われる。」
「本当の私は見せられない。」

そういう思いが湧いてきて、距離を置いてしまう。

離れた後は深く落ち込む。
失恋に浸る。

その繰り返しでした。


大学進学で家を出て、ようやく自由になれたはずなのにーー
息苦しさは消えませんでした。

学びたいものに向き合うのが怖い。
人付き合いもうまくいかない。
恋愛も近づかれたら逃げてしまう。

どこにいても正解がわからない。
正解を探して苦しくなる。

親がいなくなっても、私は解放されていませんでした。


「私は不器用な人間なんだな。」

ずっと、そうやって言い聞かせながら生きていました。

そして何度も、

”私が悪い”

そう思い続けていました。
間違えるたび、責め続けていたのは自分自身でした。


ここまで読んでくれたあなたは、どうでしょう。

その疲れ、その生きづらさ。

本当に「あなたが悪い」から起きているものでしょうか?

もし今、胸がざわついたならーー
それはあなたの中の、小さい頃のあなたが

「ねぇ、私を見て。」

と声を上げ始めたサインです。


もう押し込まなくていい。

涙が出るなら、それは弱さじゃなくて、
回復しようとしているサインです


最後にひとつだけ、お願いがあります。

今のあなたが抱えている気持に、こう言ってあげてください。

「苦しいんだね。」

それだけでいい。

そこから、あなたの回復が始まります。












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